ハリケーンランタンの造り手!Feuerhand(フュアハンド)社の数奇な歴史を調べてみた

少し前に、アメリカのDietz(デイツ)社の歴史について調べてみました。

そのデイツ社と並び、近代社会の開発にも大きく貢献した屋外用のランタンを発売したフュアハンド社の歴史について今回調べてみました。

フュアハンド社は、2019年までになんと2億5千万個のランタンを製造し、世界に提供してきたのだそうです。

フュアハンド社のあるドイツでは、1970年頃までは、道路工事等屋外での作業にフュアハンド社のランタンが欠かせないアイテムだったそうです。

ドイツだけでなく、その後の新興国でのインフラ工事にも「明かり」という形で貢献してきたフュアハンド社とはどのような会社だったのでしょうか?

フュアハンド社の始まりは・・・

実際にランタンメーカーとして創業したのは、1902年のこと。

ちなみにフュアハンド社のFEUERHANDは英語でいうとFIRE HANDで、「手にある火」というような意味です。

元々は、カール・ハーマン・ニャーという人(一族)が創業したことから、会社の名前もニャー社でした。

フュアハンドは商標だったのですが、戦後に商標名であるFeuerhandに会社名を変更しています。

後にライバルとなるアメリカのデイツ社が、現在のチューブラーランタンと呼ばれるタイプのランタンを売り出したのが1868年頃でしたので、そこから遅れること30年強。

その頃のデイツ社は、ジュニアというモデルのランタンを発売していた頃でした。

フュアハンド社のスタートは、ドイツ東部、ザクセン州のバイアーフェルトという街からでした。ザクセン州はポーランドやチェコとの国境がある地域です。

係争の火種?

デイツ社の歴史でも触れたのですが、1921年にフュアハンド社は、前述のデイツのジュニアというモデルをコピーした252というモデルを発売します。

アメリカ、デイツ社のジュニア。1902年に発表され、直後のパナマ運河建設でも使用された。©トレファクスポーツアウトドア

252は、アメリカ市場向けに作られたものでした。

当然、コピーされた側のデイツ社は黙っていなかったはずですが、デイツ社側の特許は何故か認められなかったようです。

そして、このことが、その後のデイツ社との泥沼法廷闘争につながったものと筆者は仮定しています。

現在に続く大ヒットシリーズとなったBABYシリーズ

1933年、フュアハンド社は、BABYシリーズというシリーズのランタンを発表します。

Nr.75、Nr.175、Nr.275です。

BABYシリーズのミドルサイズ、Nr.175 ©トレファクスポーツアウトドア

現在も発売されているBABY SPECIAL 276 にあたるNr.276もBABYシリーズなのですが、それぞれ同じ年にカタログに掲載されたようです。

そして、このBABYシリーズは、アメリカでも特許をとり、デイツ社との係争が本格化していきました。

BABYシリーズは、その名の通り、当時のランタンの常識を打ち破るような小型化されたプロダクトでした。

そして、屋外で使用するからこそ求められる明るさの追求も同時におこなっていました。

デイツ社は米国内で、ランタンに関わる様々な特許を取得していますが、外見的なものや使い勝手を良くするものが多いように思います。

フュアハンド社は、バーナーとそれに付随するパーツの一つ一つを入念に見直し、より明るい光が生まれるバーナーを開発しました。

これは米国内においても1926年に特許として認められ、現在のフュアハンドのランタンにも採用されている技術です。

デイツ社の製品は、大型化することで明るさを出していました。

芯を太くし、芯を太くした結果、より多い燃料が必要になり、必然的に大型化していったのだと思います。

対してフュアハンド社は、小型化と明るさの確保というトレードオフの問題を解決して、世界的にも市場の勝者になっていったと筆者は考えています。

戦争がフュアハンド社に与えた影響

フュアハンド社は、第二次世界大戦中のドイツ軍にランタンを提供していました。

主に軍用の信号灯として使われたようです。

元々、自転車のテールライトとして開発された最小サイズのNr.75 Atomは、帝国陸軍が道路を行軍する際に使用されたようです。

1933年のBABYシリーズの発表により、世界市場に向けての進出を成功させたフュアハンド社ですが、戦時中は、当時の日本と同様に、物資が極端に不足し、軍用のランタン以外はつくることができなくなってしまいました。なので、1940年代前半のフュアハンドのランタンはとても希少な物となっています。

終戦後の混乱

戦後にフュアハンド社を待ち受けていたのは、東西ドイツの分断による混乱でした。

戦後まもなくフュアハンド社(当時はNier社)があった地域は、ソ連による占領地域となり、工場の機械などもソ連軍に接収されました。

これにより46年から49年末までランタンを製造することができなかったのです。

さらに1948年には、BABYシリーズの設計、開発に携わった創業者の息子であるBruno氏がソ連軍により逮捕されました。

Brunoは、ソ連軍の特別収容所があるバイツェンで亡くなりました。

Brunoの兄弟のうち、二人は西ドイツへと逃亡し、ホーエンロックシュテットという街で、フュアハンド社を再興します。1949年末のことでした。

フュアハンド社を取り巻くもう一つの東西ドイツ分断の問題

フュアハンド社が世界市場で支持された大きな理由の一つが、BABYシリーズと同じ時期に発表された現Schott社(当時はSchott & Gen社)の耐熱ガラスグローブを装備していることでした。

グローブの中央には、「Schott & Gen Jena(ショットアンドジェン イエーナ)」とあります。©トレファクスポーツアウトドア

同時期のデイツ社のグローブ(ホッキング社やコーニング社が多かった)と比較すると、同等以上の強度を持ちながら明らかに薄かったのです。

薄い理由は、当時のドイツの独占技術であった耐熱ガラスを使用していたからです。

このガラスはイェーナガラスというものですが、国際的にも耐熱ガラスと言えばイェーナガラスのことを指していたというくらい代表的なものでした。

ガラスの薄さは、ランタンの明るさと軽量性に大きく影響します。

フュアハンド社は、このグローブがあったからこそ、世界的大ヒットとなるBABYシリーズを生み出すことができたのでしょう。

Schott社にまつわる戦後のできごと

Schott社は、現在はドイツ西部のマインツに本拠地がありますが、もともとはイェーナという東ドイツの街にありました。

ここでSchott 社の創設者のひとりであるオットー・ショットが発明したのがイエーナガラスと呼ばれる耐熱ガラス(ホウケイ酸ガラス)でした。

戦後の東西分断により、東ドイツにあったSchott社の前身の会社と設備は、1948年、東ドイツ政府によって国営化されてしまいました。

しかし、これを予見していた西側は、終戦直後に、Schott社の技術と経営ノウハウを持った41人のガラス職人を、アメリカ軍の手によってマインツへと連れていっていたのです。

※イメージ この史実は「41人のガラス職人」という映画にもなっているようです。

これは、当時のSchott社のガラス技術がいかに最先端で、かつ優れたものであったかを物語っています。

Schott社は後にこのマインツで再興することとなります。

ちなみに東ドイツ政府によって国有化された会社のほうも、東側を代表するガラスの企業として成長していきました。

そんな混乱もあり、フュアハンド社にとって、最も重要なパーツのひとつと言っても良いグローブは、フュアハンドのランタンが生産を再開したときには、使うことが出来ない状態にありました。

この時期から1960年頃までのフュアハンドランタンのグローブにはAuer(アウアー)社のグローブが使われており、今となってはそれはそれで希少なランタンとなっています。

戦後のフュアハンド社

西ドイツ側に移り、フュアハンド社はランタンの生産を再開したのですが、再開直後は、主力のベイビーシリーズと先述の252のモデル(主に輸出用)に絞って生産されていました。

敗戦国ドイツの企業であるフュアハンド社は、それまでに抱えていたアメリカ、デイツ社との法廷闘争もすべて請求権を失うことになりました。

それでも、ドイツでは1970年代までの道路工事等でもフュアハンドのランタンが使用されていたり、インフラが未熟だったアジア、アフリカ地域の開発にも多くのフュアハンドのランタンが使用されるなど、この分野ではトップランナーとして活躍していました。

安くて、軽くて、明るいフュアハンド社のランタンは、世界大戦後の世界の発展に大きく貢献したのです。

しかしながら、世界的な文明の発達にともない、フュアハンド社のランタンは次第にその役目を終えることとなり、2013年には会社が破産してしまいました。

その後、紆余曲折を経て、現在では、同じドイツのアウトドア用品メーカー、ペトロマックス社が商標権を取得しています。

ハリケーンランタンと言う名の生みの親

フュアハンド社について調べていく中で、とても興味深いことがありました。

フュアハンドの276 BABY SPECIALを始めとしたチューブラー式のオイルランタンは、ハリケーンランタンと呼ばれることがあります。

ただ、このハリケーンという呼び名は、筆者には違和感がありました。

ハリケーンとは、アメリカ地域における台風の呼び名だからです。

なぜドイツの会社のランタンにハリケーンランタンの名がつくのか?

なので、筆者はハリケーンランタンという呼び名は、アメリカの会社であるデイツ社のランタンのものなのではないかと思っていました。

しかしながら、デイツ社のカタログや広告などを見ても、少なくとも50年代までのデイツの製品には、そうした記述は見られませんでした。

一方で、1934年のフュアハンド社のBABYシリーズのドイツにおける広告では、ドイツ語で「ストームランタン(Sturm-Laternen)」という意味の記述があります。

そして、BABYシリーズは、1930年代のアメリカでも展開されていましたが、そちらの広告では「ハリケーンランタン」の記述が確認できました。

デイツ社の現在販売されているランタンのパッケージには、ハリケーンランタンの文字があるようです。

どうも、1976年に発売された#76 ORIGINALのモデル(BABY SPECIAL276のコピーと言われる)のパッケージから、日本国内向け、英語圏向けのものともに「ハリケーンランタン」の文字が入ったようです。


いかがでしたでしょうか。

アメリカのデイツ社のランタンは、1950年代に、製造拠点を香港へと移したことから、そもそものビンテージ評価は戦前のものが対象となるようです。

対して、フュアハンド社は、戦前のモデルは、もちろんビンテージ評価の対象となりますが、数が少なく、1950年代から70年代くらいのものが、おもなビンテージ品として蒐集されているようです。

フュアハンド社の歴史は、東西に分断されたドイツの歴史でもあります。

こうした歴史背景に思いを寄せながら、ランタンの明かりを眺めてみるのも一興です。

是非、あなたもランタンマニアの世界へ!

デイツの歴史についてもぜひお読みください。

アメリカ・デイツ社の歴史も一緒に見ることで、オイルランタンの歴史を更に深く知ることができます。

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